2011年1月23日日曜日

The Snow Country







年末に続き、東海地方に雪が降りました。
静かな白い世界。
人気のない雪景色と静寂は心が落ち着きます。

けれども、今回の大雪は月曜の朝。
交通事情は大混乱でした。
大雪にはしゃぐ娘は、警報が出ているにも関わらず「学校に行く!」と言ってききません。
心配しつつも娘を駅に降ろすと、私はいつもより早く会社へ向かいました。
会社は揖斐。すぐそこは山です。
国道は厚い氷で覆われ、のろのろ運転の大渋滞。
時々立ち往生した車が止まっています。
そして市内から揖斐に入って山方面に向かったとたん…
あるはずの建物も信号も前の車も、何も見えません。
道路と田んぼの境はなく、道路上の中央線も本当に何もありません。
ただ一面、真っ白の世界。
ワイパーも間に合わず、視界は3m。
真っ白の世界は現実でないような錯覚と恍惚感すら覚えます。
雪山に心魅かれる人の気持ちがわかる気がする…きれいだな…
そんな考えを振りきり、ハンドルを握りしめながら、2時間かけて無事たどり着いた駐車場。
四駆でよかった!
ドアの高さまで積もった雪をハイヒールで踏みしめ、事務所に入った時はほっとしました。
山の天候は凄まじい。。

お昼休み。
窓の外、コンコンと降りしきる雪を眺めながら皆で「今夜は会社に泊まりだね。」などと話していると、娘からメールで写真が届きました。
雪だるま。。
電車が止まって登校できなかった娘は、祖父母の家で一人せっせと雪だるまを作っていました。
心優しいことに、ポチの家にも。
そういえば前夜は、嫌がる箱入りの猫たちをひとりづつ雪の上に。
私は外に出た瞬間、雪玉をぶつけられました。
「やっぱカマクラ作りたいなあ…」
「大きくなったから、上手に作れるんだよね。昔より。」
娘は空からの贈り物を存分に満喫していました。

翌日は雪も止み、交通事情も元通り。
白銀の美しい世界が崩壊し、灰色の世界が顔をだし始めると、何とも憂鬱な気分になります。
人の心と風景。
視界を遮るものなどない風景の中、古の人は雪解けにも美しさを見たのだろうな…
たった数時間前の幻想的で美しい世界は、束の間神様が見せてくれた贈り物だったかもしれないな。
そういえば、土曜夜に降り始めた雪。
日曜、まだ暗い明け方の雪景色の上、東の空の雲の切れ間に一つだけ星が輝いていました。
自然の美しさを垣間見る時、人の心には力強い何かが生まれます。
Native American の本に、雪はスピリットが大地と生き物を清めるために降らせるものだと書かれていたことを思い出しました。

Psychological effects of human-caused environmental disasters.

これは大学時代、最も影響を受けた文化人類学のトピックです。
景色の崩壊と現代人の心の崩壊。
自然の脅威と神秘から生まれた神話。
神話と繋がらなくなった心。
そんなことを考えながら、灰色のアスファルトの上、ガソリンを燃やしながら走るのでありました。

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2011年1月9日日曜日

Compass of the Heart.



故郷で暮らしていると、知人にばったり出会うことがあります。
家族連れや夫婦連れで歩く、幸せそうで照れくさそうな友人の姿には、心が和みます。

そんな仲間同士が集まると語り合う、仕事や家庭のこと。
とりわけ、気がねなく語られる男性陣の奥さまへの想いは、セラピストとしてとても興味深いもの(ごめんなさい)。
それにしても。
男性とはいかにロマンチストであることでしょう。

夫や恋人を持つ女性から語られるのは、具体的な事柄への不平や不満が圧倒的に多く…
いわゆる、「~してくれない。」という類の要求。
つまり、相手が言動と行動を改めれば済む、現実的な話。

ところが男性陣の言葉には、「彼女にはこう在ってほしい。」という夢見るような切なる要望を感じます。
彼女が子どもを叱りつける姿を見たくない。
優しく声をかけてほしい。
甘えてほしい。
頼りにしてほしい。
決して妻には直接そう注意しないだろう、彼らの思いやりと、妻には永遠に「夢の女性」であってもらいたいという純粋さ。

そういえば、「永遠の嘘をついてくれ」に関して、吉田拓郎はこんなことを。
「出逢った時の森下愛子という女性は、無口で美しく、とびきりミステリアスだった。何十年夫婦として過ごした今でも彼女にはそうあってほしいんだ。」

ユング心理学でいう元型。
Anima(男性の精神内面にある理想的(象徴的)な女性像(女性イメージ))を強く感じずにはいられません。

アニマについては、次回に改めて。
*以下参照
http://digitalword.seesaa.net/article/17618983.html

仕事、家事、育児に追われ、髪振り乱して頑張っている私に優雅にしろですって??
じゃああなたが家事をやれば??
仕事だけして寝てばかりのくせに、頼りになんてできるわけないでしょ!
そんなキツイ声も聞こえてきそうですが…

岡本太郎さんのエッセイに、こんな女性のエピソードが登場します。
パリで岡本氏と同棲していたフランス人女性。
彼女はお勤めから戻ると、一日絵を描いていた彼にこう言うのだそうです。
「タロウ、お散歩でもしていらっしゃいよ。」
彼はワインなどを買い、ぶらぶらと気分転換をして帰宅します。
すると部屋はこざっぱりと整えられ、彼女は女性らしい服装に着替え、彼をお出迎え。
「お掃除しているところなんて、見られたくないわ。」という彼女の美学。
この後の2人の時間がロマンチックであろうことは、いうまでもありません。

森瑤子さんの本にも、魅力的な女性が登場します。
NY某大手ファッション誌の女性編集長のエピソード。
「自分が気持よく仕事をするためには、夫に機嫌よくいてもらうことが大切なのよ。」
と夫が帰宅する前には必ず帰宅し、大急ぎで着替え。
グラスを片手にさも何時間もくつろいでいたかのように「おかえりなさい」を。

そして、こちらは夫からいたれりつくせりの、ある女性。
彼女の夫はとにかくよく気がつく男性で、妻の荷物を持ったり、洋服をかけたり。
ジェントルマン精神を発揮して、かいがいしく妻の面倒をみるのだそう。
ところが当の彼女。
本当は決してか弱いタイプではなく、むしろ僻地にだって一人で旅するようなタフな女性。
けれども夫がしてくれることに一切口を出さず、ただ「ありがとう」と笑顔で感謝を。

このあっぱれな3人の女性の共通点は、とても自立した女性だということ。
自分の足でしっかり立っていて、自分の幸せの責任は自分で負っている。
与えることも受け取ることも上手。
タフでクールなロマンチスト。
そして愛するパートナーや家族の一番の理解者であり、彼らとの時間を何よりも大切にしているということ。
かといって、例え裏切られてもそっと歩み去るだけ。
誰かの心や人生を所有することなどできないと知っているのです。

愛情深いけれど、その愛情は意識的にも無意識的にも支配性がなく、母ー息子関係のような共依存関係に陥ることはありません。
我を通すことのない素直さと知性は、男性の能動性を尊重します。
孤立を自立と履き違え、一人頑張り過ぎる女性が学ぶべき女性らしさです。
2人乗りのボートのオールを一人で漕ぐ女性の心の奥底には、相手への不信感があります。
そのような女性の前では、男性は自信を喪失し、能動的に行動することができません。
まさに息子を呑み込む恐ろしいグレートマザーの一面です。

単に「尽くし」「待ち」「相手に合わせている」だけならば、それは根深い愛情希求を内包するナルシズム。
上記の女性たちには、そのような暗さは皆無です。
自分の世界を充実させ、輝き、男性に大切に扱われ、愛されている女性はとても美しい。
イメージは、ヘミングウェイが生涯かけて愛した人妻、深い愛情で家庭を守りぬいたマレーネ・デートリッヒ。

家庭を持てば、誰もがこなすべき労働に追われます。
だからこそ、一日の終わりに夫婦で過ごす短い時間はとても貴重。
夫、妻、父、母、仕事…全ての仮面を捨てて、ただの男女に、親友に、同志に戻る時。
その時間を充実させる工夫を、自分からパートナーへ提案してみませんか?

一人の異性と長い旅路の過程で共に成長していく。
寝食を共にし、変化のない日常と他愛ない会話を繰り返し、喜びを共有し、試練を乗り越える。
結婚は、学びの多い形態です。
与えられたこの体とこの心で生きる人生は、たった一度きり。
愛する人と過ごせる時間などあっという間。

出逢い、結ばれた奇跡を思い出して。
どうかいつまでもお幸せに。。

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君と歩いた道



もし15才のあの夏に戻って
そこからもう一度やりなおせたら
どんな人生送るだろう

今よりも若く強い体
学んだ知恵生かして
曲がりくねった道を行こうと迷わない

過ちや躓きを繰り返すことなく
夢の階段真っ直ぐに駆け上がってゆく

若過ぎて思いやりもなく
傷つけ別れた人たち
また出逢えたら 心の絆 失わない

だけどもしも君とどこかですれ違って
出逢うこともなくて愛されないのなら 悲劇さ

もし15才のあの夏に戻って
そこからもう一度やり直せても
この人生を選ぶだろう

君と歩いた道をもう一度歩くだろう


作詞作曲 浜田省吾

My First Love
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2010年12月27日月曜日

Love actually 3







誕生日。
残業を終え、夜遅くに帰宅すると、ツリーに紙袋がかけてありました。
それは、娘からのバースデープレゼントでした。

白クマのハンカチにぬいぐるみ、白クマのカード、白ヤギの付箋。
少ないお小遣いから、私の喜ぶ贈り物を一生懸命選んでくれた優しさに、涙が出ました。

カードには、ぶっきらぼうな娘らしい、一言だけの感謝の言葉。
そして娘の名前と4本肢の兄弟姉妹、8名の名前。
頼りなく、未熟だった私に一生懸命ついてきてくれた、かけがえのない子どもたちです。

自信もお金も何もなく、不安でいっぱいだった数年前。
盟友だった愛犬も失い、住み慣れた家も仕事も手放し、泣いてばかりいました。
それでも、どんな時も天真爛漫でユーモアいっぱいの子どもたち。
今こうして心穏やかに歩んでいけるのは、守るべき幼い命たちが、実は私を導いてくれていたのだとわかります。

そして、子どもたちを守る自信がついてきたのも束の間。
今度は娘に一人で生きる力をつけさせ、私は手放すことを学ばなければなりません。
必要なことは根気よく教えつつ、あれやこれやと口や手を出していくことはやめ、娘を信頼し、旅をさせる時。
日向の匂いのする子どもを抱きしめていられる期間はとても短い…
あとは先輩として恥じないよう、背中を見せるのみ。
子育ては、本当に大きな学びです。

夢中で駆け抜けた日々を振り返り、改めて私はこの子どもと動物に囲まれた暮らしを愛していることに気づきました。
与えられた命を守るという束の間のボランティア。
担うべき責任と労働の全てを、これからも楽しんでいけますよう。

ありがとう。

2010年12月26日日曜日

Love actually 2












同級生が集まって、お鍋会。
2年前に帰郷して以来、冬になると数回、皆が集います。
今回は9名。
当日風邪をひいてしまい、参加できなかった仲間が1名。
とても残念。。

今までは女性2名で買出しをしていましたが、今回は心強い助っ人が登場です。
当日早朝、私は松尾くんに岐阜市中央卸売市場に連れて行ってもらいました。
確か小学生の頃、社会見学に来た記憶があります。
活気のある市場内を進み、各商店へ。
新鮮な魚介類が山積み! 
まるで港町に来たようで、わくわくします。
とはいえ、情けないことにお魚を捌くこともできない私は、どれを選んで良いかもわからず…
詳しい松尾くんにお任せし、予約してあったずわい蟹と一緒に大きな鰤を一匹仕入れました。
それから、ホタテとカキ。
普段は買うことのない贅沢な食材ばかり。

市場での買い物を終えると、心躍らせながら、スペシャルな夜の準備です。
蟹と鰤を松尾くんに託し、私は買出しと部屋の掃除に。
そして待ちに待った夜。
クーラーボックスを開け、下処理された食材を見て、思わず感嘆の声をあげました。
蟹も鰤も、そして松尾くんが海釣したマイカもプロ顔負けの美しさ!
その丁寧さは、食材への感謝と食べる人への愛情です。
力のない女性陣に代わり、時間と手間をかけてくれた思いやりに感激。
肩ひじ張らず、自然にキッチンに立てる男性は素敵です。

しばらくすると、今度は保くんがお父様の手作りお野菜を持ってきてくださいました。
白菜、お葱、大根、蕪、カリフラワー、青菜…
どれも瑞々しく、生命力が違います。本当に贅沢。
新鮮な食材が豊富に並んだキッチンは幸せの象徴です。

そして、賑やかな仲間たちが集合。
ところが家に着くなり、みっちゃんは「忘れ物した」と出かけていきました。
出先のみっちゃんに電球のお使いまでお願いし(ごめんね)。。
しばらくして戻ったみっちゃん。
「知枝、少し早いけど、おめでとう!」
???
驚く私に手渡されたのは、なんとバースデーケーキ!
次週の私の誕生日を覚えていてくれたのです。
なんて優しいの!
りえちゃんからは、柔らかで上品なイチゴのロールケーキ!
いつも美味しいお土産を本当にありがとうございます。

大きくなる笑い声の中、少しづつお皿が並びます。
いつもながら準備をテキパキとこなす、りえ様。
特製のまぐろとアボカドのサラダは、生姜とごま油が効いて、とっても美味しい!
とびきりの前菜です。
グリル前では、松尾板長が鰤のかま焼きを。
脂ののった鰤をお塩で…絶品!
お刺身も鰤しゃぶも、至福の美味しさでした。

食べて、飲んで、笑って。
楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。
笑い転げ、とびきりのご馳走をお腹いっぱい頂いたあと、始まった腕相撲。
ムキになる顔は、教室や運動場にいた男子たち。
男性はいくつになっても3歳児説。
そうかも知れません。。


美味しい食事とお酒と笑い声。
これ以上の幸せはありません。
昔話や同級生の消息。仕事や家族、結婚のこと。
近所で暮らしていても、それぞれの背景と抱える荷物は皆違います。
義務、責任、覚悟…
歓び、悲しみ、焦燥感…
経験の中で身につけた自身と他者への理解力は、余計な言葉を必要とせず、その全てをユーモアで包みます。
笑いを力に変えていく時間。
人はだから、生きていけるのですね。

皆がいつでも楽しく集まることのできる家庭を作ることは、私の夢。
どうかこれからも、気軽に乾杯を!
いつの日か、ムキになってゲートボールをする日まで。。


追伸
皆のバースデーソングのなか、ろうそくを消した40回目の誕生日。
皆の笑顔は、一生忘れられない贈り物です。
本当にありがとうございました。
次回から、順番にバースデーのお祝いを!

てらん、いつもお酒担当ありがとう。酔ったてらんの奥様のおのろけ、ほっとします。
しゅっち、ヨーグルト、昔も給食の時、譲ってくれたよね。
変わらぬ優しさをありがとう。
よさく、皆を驚愕させた手の平の上のワサビは、素朴で温かなよさくそのもの。ありがとう。
そしてあべしょう。
ずっと切れたままだった電球の取り換え。部屋と心を灯してくれました。
ありがとう。。

来られなかったやんまー。次は新年会です。 
豪快な笑い声を皆待ってます!

*一番下の写真
翌日、保くんのお大根と松尾くんの鰤のアラで ブリ大根を作りました。
ご馳走様でした!

2010年12月9日木曜日

Love Actually









12月は心が踊ります。
帰宅し、ツリーを点灯すると、もう一度玄関の外に出て、家の中を眺めます。
ドアガラス越しに映るライトは、虹色で本当に綺麗。

今年のお気に入りオーナメントは、白いトナカイ。
白い動物に目がない私の一目ぼれです。
そしてピンク系でまとめたのは、娘の意見。
家の中にツリーがあるだけで、とても幸せな気分になります。

が、このツリー。
4本肢の同居人達にとっても格好の楽しみ。
真夜中を過ぎた頃、彼らは運動会を始めます。
揺れるオーナメントは、ことごとく床へ。
そしてサッカーとなり、家中あらゆる所へ散らばります。
盛り上がりも最高潮に達すると、最軽量級のポン&マリアの出番。
吹き抜けの2階、階段の手すりから狙いを定めて、ツリーへとダイブです。
れっきとした成猫だけれど、3kgにも満たないふたり。
下から羨望のまなざしで上を見上げるのは、重量級のにゃあたんとドンちゃん。
「いくぜっ!!」
…ツリーは見事に倒れ、人造の枝はその都度曲がります。
跳ぶスリルと倒れるスリル。
「やったな。」「あ~楽し。」「やめられんわ。」とそれぞれに満足した猫たちは、ベッドに戻り、人間を湯たんぽ代わりに眠りにつきます。
クリスマスは、猫たちも幸せです。

写真は、個性的な顔のマリアと白イタチのようなポン。
椅子の上は、ひまわり。

そしてもう一つ。
この時期何度も観る、大好きな映画があります。
ヒースロー空港の到着ゲートから始まる様々な愛の物語。
Love Actually.
英国らしいマチュアなユーモアと、文字通り「実際そこにある」愛。
クリスマスだから伝えられること。気づくことができること。
一年に一度。素直に気持ちを伝えられる日。
勇気を出して伝える言葉。
それは、心の奥の想いと同じ深さで大切な人の心に届くのだと、教えてくれる映画です。

Love actually is all around.

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2010年11月27日土曜日

おべんとうの時間

おべんとうの時間
おべんとうの時間阿部 了(写真) 阿部 直美(文)

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素敵な本を見つけました。
「おべんとうの時間」
レシピ本ではなく、働く人々のごく日常のお弁当。
日本各地で様々な職業につく方々の、お弁当に関わるエピソードを素敵な写真とともに紹介しています。
お弁当を食べる人。作る人。働くということ。
普通の毎日を丁寧に生きている方々の物語は、生きるうえで大切なことを思い出させてくれます。
心温まる、素晴らしい本です。

自身のお弁当エピソード。
思い出すのは、料理上手だった祖母と母のお弁当。
運動会には、祖母の昔の人らしいお重詰めのお弁当と、調理師の資格も持っていた母のハイカラなお弁当が並びました。
デザートも手作りで、素朴な寒天が楽しみでした。
思えば高校卒業後、進学で上京して以来、ずっと自炊をしてきました。
お弁当を持たせてもらったのは、遠い思い出。
けれども誰かが自分の心身を思い作ってくれたという事実は、いつまでも生きる力をくれるもの。
今になって、夜明け前から支度をしてくれただろう、祖母や母の愛に頭が下がります。

母になった私には、初めての幼稚園で小さな背中にお弁当を背負って登園する娘の姿。
ある時、草食恐竜と自分を同化させた娘は、突然ベジタリアンになり、お弁当メニューには苦労しました。
煮物やお揚げがメインの地味なお弁当。
それを恥ずかしがるでもなく、嬉しそうに完食してくる娘には、彼女なりの信念がありました。
今でもコンビニ食やファーストフードを食べない娘。
「料理なんてめんどくさーい」とまだ甘えていますが、近い将来自立した際には、自ずとキッチンに立つ喜びを身につけてくれることでしょう。

そして、5年前の愛知万博での思い出。
「お弁当の持ちこみ許可」は、小泉元首相の数少ない功績の一つかも知れません。
その日、私は遠足の朝のテンションで、リュックにお弁当を詰め込みました。
20年ぶりに再会した幼なじみと過ごした一日。
歩くのが遅い私は、歩くのがとても早い彼の背中を不思議な気持ちで眺めていました。
小学生の時、小さかった彼は列の前の方。
背の高かった私は後ろの方。
私よりずっと大きくなった彼だけれど、黙々と歩く後ろ姿は昔と同じ。
少年の好奇心とマチュアな強さを身につけた、世界中を旅してきた頼もしい背中でした。
時々ついて来ているか確認するように立ち止まり、振り向くけれど、また自分の心のままに歩く。
優しすぎる人ゆえに必要な距離。
その彼独特の距離感が、私にはとても心地よく、心から安らぐものでした。
けれどももしあの日、人でごった返す高価な食事処で延々と並ぶことになっていたら…
彼は多分、食事など抜いても、目的へと歩く人。
それでも彼は私を気遣い、時間をさいてくれたでしょう。
私はいたたまれなくなり、少し悲しい思い出になっていたかも知れません。
思い出したように彼が早足を止めた時、野外で頂いたお弁当。
彼の冗談に笑い、ふと静けさが戻ると、遠くから彼の好きなイエメンの音楽が聴こえてきました。
全て気持ちよく食べてくれたあと、「これで荷物、軽くなったな。」と一言。
お腹に入ったお弁当が、繊細すぎる心の距離を縮めてくれた気がしたのでした。


現在は毎朝、娘とふたり分(私はカタギの勤め人もしています)のお弁当を作ります。
あり合わせの簡単なものだけれど、忙しい職場でお弁当を開ける瞬間は、ささやかな楽しみ。
そして娘の空っぽのお弁当箱を見るのは、ささやかな喜び。
以前、仕事がもっとハードだった時には、娘には学校のカフェで食べるようにとお金を渡して済ますことがありました。
でもそんな日が続くと、娘の肌や心がささくれだってくるのです。
そして私自身も手抜きをしている事実に落ち着かず、母親業と父親業、自分の中の女性性と男性性のバランスが取れず、自信を喪失し始めます。
丁寧に生活することは、大切な者だけでなく、自分自身を愛することに繋がります。

精神分析学者フロイトは、「健康な大人の条件」を問われ、「愛することと働くこと」と答えました。
かつて高度経済成長期には、男女の役割が「世話をする人」と「稼ぐ人」という性役割で二分されていました。
交わることのない世界で生きる夫婦には、互いの孤独という心の問題が生じました。
性役割の境界線が薄くなった昨今でも、その境界線のところで互いに疲れ果て、悩む大人が増えています。

愛することと働くこと。
「おべんとうの時間」の行間には、そのバランスの大切さと、コツが描かれているような気がします。
大切な人が健やかで、頑張れるように、と願いを込めて作る幸せ。
別々の場所にいても、大切な人と同じものを食べられるという幸せ。
自分のためだけに作る、働く自分へのエールとしてのお弁当。

これからも頑張って早起きしよう!