2010年4月24日土曜日

猫物語  ~ひまわり~









我が家の4本肢の同居人たちは、全員元ノラ猫。
それぞれの物語を少しづつ書いていきたいと思います。
まずはブログトップの写真、ブルードアの前でゴロ寝をしている我が家の三女。
名前は、ひまわりです。

ひまわりが家に来たのは、4年前の初夏のこと。
当時、老齢で脚が不自由だった愛犬ミミが、真夜中2時すぎに突然「トイレ!トイレ!」と鳴きだしました。
その夜は嵐のようなどしゃぶり。
ミミは雨に濡れるのが大嫌いなのに、その晩に限って「外に行く!」と吠え続けます。
私は仕方なく玄関を開け、大雨の中、不自由な脚でふらふらと歩いていくミミを追いました。

裏山へ50mほど歩いたところで、ミミは耳を立て、警戒する仕草を。
「どうしたの? おしっこじゃないの?」と聞きながら、早く戻りたい一心の私は、ミミにリードをつけ引っ張りました。
でもミミは動きません。
ふたりともあっという間にずぶ濡れです。
私は半ば諦めの気持ちで、ミミにつき合う覚悟を決めました。

その時。
大きな雨音の合間に、かすかに「ぴ~…」という声が聞こえたような気がしました。
辺りは真っ暗で何も見えませんが、しばらく耳をすましているとやっぱり声が聞こえてきます。
私はすぐにミミを家に帰し、懐中電灯を持ってその場所に。
声のする方向を注意深く探していると、溝になっているところに小さな生き物がいるようでした。
真夜中だったこともあり、地球外生物かも?!とドキドキです!
噛まれるといけないので、もう一度タオルを取りに戻り、改めてその物体を拾い上げました。
ネズミ? モグラ? …って「ぴ~」って鳴くの? 
やっぱりエイリアン?! 
「気持ち悪い~!」とタオルを重ねながらも、胸は高鳴りました。

そして明るい所で見てみると。。
まだへその緒と血のついた猫の赤ちゃんでした。
きっと母猫は初めてのお産だったのでしょう。
嵐の中で初めてのお産にパニックになり、産み落としたままどこかへ行ってしまったのです。

早速へその緒を切り、体を拭きました。
幸い血は出産の時のもので、ケガをしている訳ではなさそう。
冷えた体をドライヤーで温めると、大声で鳴きはじめました。
とても数時間雨の中にいたと思えないほどの勢いのよさ。
温めたお砂糖水を少し口に含ませましたが、朝までミルクは手に入りません。
「ちょっとーッ! お腹すいたんだけどー!!」 
結局子猫は、一晩中元気に鳴き続けました。
このすごい生命力の持ち主が、ひまわりです。

夜明けには雨も上がり、私は母猫を探しに子猫を拾った場所へ。
母猫はどこにもいませんでした。
そのかわりに…
少し離れた水たまりの中に、もう一匹子猫が落ちていました。
顔、体の半分は水に浸かり、ひっくり返ったまま虫の息。
あれから一晩中雨に打たれていたのです。
この世に生まれ落ちた瞬間から、一人ぼっちでこんな冷たい場所に…
本当に胸が痛みました。
急いでおへその処置だけして、2匹とも獣医さんに診ていただきました。

「こんなに小さい子、無事に育ちますか?」
獣医さんは一言。
「やるしかありません!!」 
なかなか熱血の素敵な先生でした。
病院で猫用ミルクと哺乳瓶をいただき、子育てが始まりました。
3時間おきの授乳と排泄。
子猫はまだ自分で排泄できません。
母猫がおしっこやうんちを舐めて出してあげるように、お尻を刺激して排泄を促します。
授乳は人間の赤ちゃんと同じです。
慣れると小さなおててを哺乳瓶に添え、それはそれは可愛い!
授乳期間はひと月ほどですが、ママ気分を満喫しました。

残念なことに2匹目の子は、生後4日で足早に天国へ戻って行きました。
水たまりで大量の泥水を飲んでいたのでしょう。
お腹が張り、泥のような便をし、ミルクを受けつけませんでした。
まだ目も開かないまま、娘の手のひらのうえで静かに息をひきとりました。
ひまわりと一緒に保護していたら…と思うととても悔やまれます。
今度は必ず幸せな飼い猫に生まれ変わってね。
そう祈りながら、裏山に埋葬しました。

ひまわりは順調に育ち、可愛さも頭のよさも運動神経もピカイチの素晴らしい猫に成長しました。
そして気の強さも天下一品!
獣医さんが仰るには、人の手だけで育てられた動物、動物の親を知らない動物は、往々にして気性が荒いのだそうです。
猫の子育てを見ていると、子猫は常に母猫か兄弟猫と触れあい、一人になることがありません。
その点でひまわりには、外界との接触の中で得られる基本的な安心感が充分ではなかったのでしょう。
その代り、人へ訴えかけてくる情愛はとても深く、家の中では常に私の傍らにいます。
家族以外にひまわりが懐いた人はたった一人だけ。
警戒心が強く、常に気を張っているところは健気でもあり、放っておけないところがあります。

動物との出逢いも人との出逢いと同じ。
私にとっては特に、動物との出逢いのなかには大きな学びがあります。
なぜその時期に出逢ったのか…必然の意味がわかる時が来ます。
その物語は次回に続きます。。


春先から初夏は、ノラ猫の出産シーズン。
ノラ猫のお母さんは、気候の悪化や餌の有無、またカラス、アライグマなどの外敵の襲撃、ヒトの干渉など、自分の環境が危険にさらされると、子育てを放棄することがあります。
そんな子猫を見つけた際には。。

①まずは何よりも保温です。猫の体温は平熱で38度以上。
夏でも毛布やタオルにカイロを入れ、十分な保温を。
また先住猫がいる場合、保護したノラ猫が猫エイズや猫白血病などの伝染病キャリアの可能性があるので、ひとまず隔離した方が安全です。

②牛乳はお腹を壊すので、猫用ミルクが手に入るまではぬるま湯か、砂糖水を少しだけスポイドで口に含ませます。
猫用ミルクは粉タイプのものがペットショップや動物病院に売っています。

③おしっことうんちは、子猫を片手で持ち、ティッシュペーパーで軽くポンポンとお尻を刺激してあげると出ます。
ミルクを飲む前におしっこを出してあげます。
人工ミルクは便秘をしやすく、何日も出ない場合があります。
その時はオリーブオイルなどをつけた麺棒や温めたガーゼで肛門を優しく刺激してあげます。
便は押し出し式なので、ミルクが飲めていれば便秘はあまり心配はありません。
ゴートミルク(山羊ミルク)やエスビラック(共立商事)の液体ミルクは、便通が良いようです。
逆に下痢は脱水し、衰弱するので心配です。
ノラ猫は寄生虫がいる場合も多いので、すぐに動物病院へ。

④1週間~10日で目が開き、3週間~4週間で歯が生え、柔らかい食事を食べ始めます。
お水も一緒に置いておけば、徐々に上手に飲めるようになります。
その頃おしっこが出そうな時にトイレに入れてあげると、トイレの躾は簡単にできます。

⑤トイレの躾が済めば、ネットの里親サイトや新聞などで里親さんを探すことができます。
ただ最近は捨てられた犬猫を動物実験用に売買する里親詐欺も多いので、譲渡の際には十分な注意を。



幸せな動物が一頭でも増えますように。

2010年4月15日木曜日

Flamenco

フラメンコの素晴らしいアーティストを紹介します。

まずはアントニオ・ガデス。
世界的にも有名な舞踊家である彼は、ヒターノ(ジプシー)ではなく、生粋のスペイン人です。
生まれた時からフラメンコを子守唄に育つヒターノと違い、彼は舞踊学校で踊りを学んだダンサーです。
彼の踊りを初めて目にしたのは、映画「Los Tarantos バルセロナ物語」(1963)でした。
彼の役は、悲恋に翻弄される主人公の親友。飲んだくれのプレイボーイ。
美女を伴い、夜な夜な街で遊び続ける彼が主人公のギターで踊りだす。
このシーンを見た時の衝撃と感動は忘れられません。




ジーンズ姿で街かどで踊る彼の美しさと優雅さは、目を疑うほど。
その完璧な動きの合間、制止した瞬間に醸し出すあたりを祓うような雰囲気は、誰も真似できません。
まさにフラメンコの神様。

そしてどこか影を感じさせる風貌通り、貧しさの中で育った彼の根底には「怒り」があったといいます。
舞踊家であると同時に革命家でもあったガデス。
2004年、68歳の若さで生涯を終えました。
その遺灰は故人の遺志により、キューバ革命戦士の墓に葬られています。

ガデスと次に紹介するパコ・デ・ルシアは、土着的で民俗的な文化だったフラメンコを洗練された芸術の域まで高めた人物として高く評価されています。
けれども、あくまでも「ありのままの人間を表現する」という、フラメンコの真髄を追求するのが彼らの理想だったそうです。

映画の曲は Farruca ファルーカ。
主に男性舞曲として演奏されます。
北スペインの民謡がアンダルシアの人々によってフラメンコ化された、比較的新しいスタイルの曲と踊りです。






2人目はフラメンコギタリストのパコ・デ・ルシア。
彼もまたスペイン人で、世界中のギタリストの憧れです。
貧しかった幼少時代、彼はある日突然父親にこう告げられたそうです。
「財産を叩いてギターを買ってきた。今日から学校へは行かなくていいから、一日中ギターの練習をしなさい。」
彼のギターの魅力は、あふれだす情熱を抑制するようなアンビバレントなところ。
愛知万博の彼のステージでこの曲を聴いた時には、涙が止まりませんでした。
フラメンコギターの音色は、何よりも胸を締めつけます。

曲は Tangos タンゴス。
カディス発祥、ノリのいい2拍子の曲です。
演奏は、Paco de Lucia & Sextet
少年のせつない片思いを唄っています。
カンテ(唄)は、パコ・デ・ルシアの弟、Pepe de Lucia (ぺぺ・デ・ルシア)。
ルシアは、彼らの最愛のお母さま。
ラテンの男の人って、可愛いですね。






そして最後は、セビージャの代表的な舞踊家。
今も優れた指導者としてご活躍の Matilde Coral マティルデ・コラルです。
近年は、足や体の動きが男性化され、より力強いフラメンコバイレ(踊り)が主流。
でも彼女の振付スタイルは、あくまでも伝統的で、女性らしく、柔らかな踊りです。
この動画を見ても、女性の体と、その動きの美しさが最大限に引き出されています。
女性の美しさと力強さ、温かさが同居する、憧れの女性です。

曲は「歓び」という意味の Alegrias アレグリアス。
バイレと同様、とても魅力的なのは、一番を唄う Chano Lobato チャノ・ロバートの温かな歌声。
彼もまた素晴らしい伝統的なカンテ(唄い手)さんです。


フラメンコの魅力は一言では表せませんが、私が魅かれるのは、悲しみや苦しみを内包したうえでの明るさや強さ、つまり「生命力」。
クラシックバレエが、上へ、天へ、人間を超えた存在へと向う踊りなのとは対照的に、フラメンコはより力強く大地へと根ざし、人間らしく在るイメージです。

春になると無性にフラメンコを踊りたくなり、部屋では一日中曲を流しています。
家事の合間に突然踊りだしても、我が家の猫たちは慣れたもの。

目下のところ。
夢は、踊り仲間とセビリアの春祭りで踊ること♪

Invitation


長く独り身でいると、時々こんな質問をいただきます。
「結婚はもうしないの?」
「どんな(条件の)人がいいの?」

「…わかりません。」

笑ってごまかしつつ、質問に続いて「女性の幸せは男性次第」「結婚は現実的な条件」というような、通俗的な価値観を提示された時には、心に不協和音が生じます。
他者が自分の人生にコミットメントしてくれるのを期待するだけでは、結婚生活はすぐに暗礁に乗り上げるでしょう。

そんな話題に触れた時には、改めて自分に問いかけます。
「私自身はどんな人間で在りたいのか?」
自身がこう在りたいと願う人間像と、人生の伴侶に求める資質は多分同じ。
ならば、まずは「自分」です。

ひとりでいられる人間が、ふたりで生きられる。

心に浮かぶのは、Native American の長老の言葉を元に書かれたこの詩です。



「招待」


貴方が生活のために何をしているかは、どうでもいいこと。
私は貴方が何に憧れ、どんな夢に挑戦するか知りたいのです。

貴方の年齢など関係ないこと。
貴方が夢や冒険のために
愚かに見えるのも覚悟の上で
どれだけ自分を賭けることができるかを知りたいのです。

貴方の星座もどうでもいいこと。
でも、貴方が本当に深い悲しみを知っているか
人生の裏切りにさらされたことがあるか
悲しみの中心に触れ
それによって貴方の心は開かれたのか
それとも貴方の心は縮みあがり、さらなる苦痛を恐れるあまり、閉ざされてしまったのか
それを知りたいのです。

貴方が、自分のものであれ、他人のものであれ
心の痛みを無視したり、簡単に片づけたりせず
それを自分のものとして受け止めているかを知りたいのです。
苦痛を隠したり、ごまかしたり、取り繕ったりせずに。

また喜びの時は
それが誰のものであれ
心から喜び、野生のまま踊り
至福感に全身をゆだねることができるかどうか知りたいのです。
気をつけたほうがいい、
現実的になれ、
大したことはない
…などと言わずに。

私は貴方の話すことが本当かどうかには、関心はありません。
でも、あなたが自分自身に正直であるために
他人を失望させてしまうことでも、あえてできるかどうかを知りたいのです。

たとえそれが裏切りといわれ、誰かに失望されたとしても
自分自身の魂を裏切るよりは
その非難に耐える道を選べるかどうか。
不実だと言われたときにこそ、貴方がどうするか。
そこで貴方が信頼に値する人間であるかどうかを知りたいのです。
貴方自身の魂を裏切っていないかを。

私は、貴方に本当の美が見えているかを知りたいのです。
それが見た目に美しく見えなくても、日常の見慣れたものであっても、
そこから真に美しいものを見出し、自分の人生に汲みあげるかどうかを。

私は貴方が失敗しても
失意を受けとめ、痛みとともに生きることができるかどうか
それでも湖のほとりに立ち、銀色に輝く月に向って、「大丈夫」と叫ぶかどうかを知りたいのです。

どこに住み、どれだけお金を持っているかもどうでもいいこと。
それよりも、貴方が悲しみと絶望に打ちひしがれ、どんなに疲れ果てている時にも
朝が来ればまた起き上がり
子どもたち、愛する者、弱き者のために
自分がすべきことをするかどうかを知りたいのです。

貴方が誰を知っているか、どうして来たかは関係ありません。
私とともに、決してひるまず、試練の中に立つことができるかを知りたいのです。

貴方がどこで何を勉強したかも聞きません。
私が知りたいのは
皆が貴方を見捨てて、一人ぼっちになったとき
すべてが崩れ落ちるように感じられるとき
貴方の内側から、貴方自身を支えているものが何かを知りたいのです。

貴方が自分自身としっかり向き合い
日常のなんでもない時間の中にいる自分自身を心から愛せるかどうか
孤独のなかの自分を愛せるかどうかを
知りたいと思っているのです。


Oriah Mountain Dreamer
1999

http://www.oriahmountaindreamer.com/


*写真は、アースロッジさんで購入したポスターです。
http://www.earthlodge.com/

2010年4月8日木曜日

春の日






故郷を離れていた十数年間、私には、日に何度も心に立ち上る風景がありました。
それは、れんげ畑と田植を終えた水田の風景。
幼い頃の遊び場です。
一昨年帰郷し、その風景にもう一度出会えた時、忘れかけていた記憶が鮮明に蘇りました。

れんげ草、シロツメグサ、オオイヌノフグリ(別名ホシノヒトミ)…
小さな野の花が広がる田んぼや、まだアスファルトに覆われていないあぜ道に吹く暖かな風。
体をとりまく日向の匂い。
草の上に寝そべった時のひんやりした感触と眩しい空。
ハチ、アブラムシ、テントウムシが手を這う感触。
記憶はすべて、身体的な感覚と結びついています。
風景が何度も心に立ち上ったのは、私がその身体的な感覚を求めていたからに他なりません。

この季節には毎日のようにれんげ草やシロツメグサを摘み、ブーケや首飾りを作りました。
四つ葉を探し、見つからない時は一枚葉っぱを付けたすという苦肉の策も。

不思議なのは、あの頃の時間の感覚です。
今思えば、放課後から夕食までの2,3時間だったのでしょう。
けれどもその記憶には、時間の感覚がありません。
飽きることもなく、ただひたすら田んぼにしゃがみ込み、暗くなったら立ち上がる。
子どもの頃は、「今」だけを生きていました。
心と体に刻まれた、「永遠の一瞬」です。

ブーケを作り家に帰ると、母はいつもコップに水を入れ、テーブルに飾ってくれました。
でも野の花はすぐに萎れてしまいます。
私はその花束をゴミ箱に捨てられず、結局元の場所に。
お花摘みや虫取り。
自然を相手にした遊びには、いつも少しだけ罪悪感を伴いました。
自然界で強く生きているのに、花瓶や虫籠の中では死んでしまう…
そんな小さな命の強く儚い美しさを、この先も私の心は求め続けるのだと思います。

れんげ草。
花言葉は、「あなたの幸せ」「あなたは私の苦痛を和らげる」「感化」

クローバー、シロツメグサ。
「幸福」「約束」

ホシノヒトミ。
「神聖」「清らか」「信頼」「誠実」

2010年4月4日日曜日

お花見






同級生が集まり、墨俣一夜城に夜桜を見に行きました。
幼稚園、小学校、中学校をともに過ごした同級生12名。

桜並木をそぞろ歩き、ほぼ満開の桜を見上げながら、幼い頃の遠足を思い出していました。
20年以上経っても、あの頃のままの皆の笑顔。
咲き誇る桜、堤防の菜の花、賑わう灯りを映す川の水面、まだ冷たいけれど春の匂いの夜風。
見慣れたはずの故郷の景色が輝きを増し、心が澄んでいくのを感じました。

お花見の後はもちろん飲み会。
それぞれの記憶を持ち寄り、思い出話に笑い転げます。
校長室前での正座、初恋の子、学校行事に校歌…何年経ってもおもらしネタは欠かせません。
飾らず、素のままでいられる仲間って本当にイイものです。
子どものままの顔と、社会人・家庭人としての顔。
相反する両局面に関わらず、そこには何の違和感もない温かさだけがあります。

そして仕上げは朝までカラオケ。
歌い、踊り、お腹がよじれるほど笑いました。
懐かしいアニメソングや歌謡曲の合唱は本当に楽しい!
時代や思い出を共有できる幸せは、歳を重ねてからわかります。

それぞれが頑張っていて、お互いを思い合える”気立てのいい(これは今夜の皆のキーワード。。)”かけがえのない友達。
皆の笑顔と笑い声を思い出しながら思うこと。
何が変わって、何が変わっていないのだろう。。

結論。
体は大きくなり、悩みと知恵を携えたけれど、少年少女の心は健在!

素晴らしい友情に乾杯!