2010年12月27日月曜日

Love actually 3







誕生日。
残業を終え、夜遅くに帰宅すると、ツリーに紙袋がかけてありました。
それは、娘からのバースデープレゼントでした。

白クマのハンカチにぬいぐるみ、白クマのカード、白ヤギの付箋。
少ないお小遣いから、私の喜ぶ贈り物を一生懸命選んでくれた優しさに、涙が出ました。

カードには、ぶっきらぼうな娘らしい、一言だけの感謝の言葉。
そして娘の名前と4本肢の兄弟姉妹、8名の名前。
頼りなく、未熟だった私に一生懸命ついてきてくれた、かけがえのない子どもたちです。

自信もお金も何もなく、不安でいっぱいだった数年前。
盟友だった愛犬も失い、住み慣れた家も仕事も手放し、泣いてばかりいました。
それでも、どんな時も天真爛漫でユーモアいっぱいの子どもたち。
今こうして心穏やかに歩んでいけるのは、守るべき幼い命たちが、実は私を導いてくれていたのだとわかります。

そして、子どもたちを守る自信がついてきたのも束の間。
今度は娘に一人で生きる力をつけさせ、私は手放すことを学ばなければなりません。
必要なことは根気よく教えつつ、あれやこれやと口や手を出していくことはやめ、娘を信頼し、旅をさせる時。
日向の匂いのする子どもを抱きしめていられる期間はとても短い…
あとは先輩として恥じないよう、背中を見せるのみ。
子育ては、本当に大きな学びです。

夢中で駆け抜けた日々を振り返り、改めて私はこの子どもと動物に囲まれた暮らしを愛していることに気づきました。
与えられた命を守るという束の間のボランティア。
担うべき責任と労働の全てを、これからも楽しんでいけますよう。

ありがとう。

2010年12月26日日曜日

Love actually 2












同級生が集まって、お鍋会。
2年前に帰郷して以来、冬になると数回、皆が集います。
今回は9名。
当日風邪をひいてしまい、参加できなかった仲間が1名。
とても残念。。

今までは女性2名で買出しをしていましたが、今回は心強い助っ人が登場です。
当日早朝、私は松尾くんに岐阜市中央卸売市場に連れて行ってもらいました。
確か小学生の頃、社会見学に来た記憶があります。
活気のある市場内を進み、各商店へ。
新鮮な魚介類が山積み! 
まるで港町に来たようで、わくわくします。
とはいえ、情けないことにお魚を捌くこともできない私は、どれを選んで良いかもわからず…
詳しい松尾くんにお任せし、予約してあったずわい蟹と一緒に大きな鰤を一匹仕入れました。
それから、ホタテとカキ。
普段は買うことのない贅沢な食材ばかり。

市場での買い物を終えると、心躍らせながら、スペシャルな夜の準備です。
蟹と鰤を松尾くんに託し、私は買出しと部屋の掃除に。
そして待ちに待った夜。
クーラーボックスを開け、下処理された食材を見て、思わず感嘆の声をあげました。
蟹も鰤も、そして松尾くんが海釣したマイカもプロ顔負けの美しさ!
その丁寧さは、食材への感謝と食べる人への愛情です。
力のない女性陣に代わり、時間と手間をかけてくれた思いやりに感激。
肩ひじ張らず、自然にキッチンに立てる男性は素敵です。

しばらくすると、今度は保くんがお父様の手作りお野菜を持ってきてくださいました。
白菜、お葱、大根、蕪、カリフラワー、青菜…
どれも瑞々しく、生命力が違います。本当に贅沢。
新鮮な食材が豊富に並んだキッチンは幸せの象徴です。

そして、賑やかな仲間たちが集合。
ところが家に着くなり、みっちゃんは「忘れ物した」と出かけていきました。
出先のみっちゃんに電球のお使いまでお願いし(ごめんね)。。
しばらくして戻ったみっちゃん。
「知枝、少し早いけど、おめでとう!」
???
驚く私に手渡されたのは、なんとバースデーケーキ!
次週の私の誕生日を覚えていてくれたのです。
なんて優しいの!
りえちゃんからは、柔らかで上品なイチゴのロールケーキ!
いつも美味しいお土産を本当にありがとうございます。

大きくなる笑い声の中、少しづつお皿が並びます。
いつもながら準備をテキパキとこなす、りえ様。
特製のまぐろとアボカドのサラダは、生姜とごま油が効いて、とっても美味しい!
とびきりの前菜です。
グリル前では、松尾板長が鰤のかま焼きを。
脂ののった鰤をお塩で…絶品!
お刺身も鰤しゃぶも、至福の美味しさでした。

食べて、飲んで、笑って。
楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。
笑い転げ、とびきりのご馳走をお腹いっぱい頂いたあと、始まった腕相撲。
ムキになる顔は、教室や運動場にいた男子たち。
男性はいくつになっても3歳児説。
そうかも知れません。。


美味しい食事とお酒と笑い声。
これ以上の幸せはありません。
昔話や同級生の消息。仕事や家族、結婚のこと。
近所で暮らしていても、それぞれの背景と抱える荷物は皆違います。
義務、責任、覚悟…
歓び、悲しみ、焦燥感…
経験の中で身につけた自身と他者への理解力は、余計な言葉を必要とせず、その全てをユーモアで包みます。
笑いを力に変えていく時間。
人はだから、生きていけるのですね。

皆がいつでも楽しく集まることのできる家庭を作ることは、私の夢。
どうかこれからも、気軽に乾杯を!
いつの日か、ムキになってゲートボールをする日まで。。


追伸
皆のバースデーソングのなか、ろうそくを消した40回目の誕生日。
皆の笑顔は、一生忘れられない贈り物です。
本当にありがとうございました。
次回から、順番にバースデーのお祝いを!

てらん、いつもお酒担当ありがとう。酔ったてらんの奥様のおのろけ、ほっとします。
しゅっち、ヨーグルト、昔も給食の時、譲ってくれたよね。
変わらぬ優しさをありがとう。
よさく、皆を驚愕させた手の平の上のワサビは、素朴で温かなよさくそのもの。ありがとう。
そしてあべしょう。
ずっと切れたままだった電球の取り換え。部屋と心を灯してくれました。
ありがとう。。

来られなかったやんまー。次は新年会です。 
豪快な笑い声を皆待ってます!

*一番下の写真
翌日、保くんのお大根と松尾くんの鰤のアラで ブリ大根を作りました。
ご馳走様でした!

2010年12月9日木曜日

Love Actually









12月は心が踊ります。
帰宅し、ツリーを点灯すると、もう一度玄関の外に出て、家の中を眺めます。
ドアガラス越しに映るライトは、虹色で本当に綺麗。

今年のお気に入りオーナメントは、白いトナカイ。
白い動物に目がない私の一目ぼれです。
そしてピンク系でまとめたのは、娘の意見。
家の中にツリーがあるだけで、とても幸せな気分になります。

が、このツリー。
4本肢の同居人達にとっても格好の楽しみ。
真夜中を過ぎた頃、彼らは運動会を始めます。
揺れるオーナメントは、ことごとく床へ。
そしてサッカーとなり、家中あらゆる所へ散らばります。
盛り上がりも最高潮に達すると、最軽量級のポン&マリアの出番。
吹き抜けの2階、階段の手すりから狙いを定めて、ツリーへとダイブです。
れっきとした成猫だけれど、3kgにも満たないふたり。
下から羨望のまなざしで上を見上げるのは、重量級のにゃあたんとドンちゃん。
「いくぜっ!!」
…ツリーは見事に倒れ、人造の枝はその都度曲がります。
跳ぶスリルと倒れるスリル。
「やったな。」「あ~楽し。」「やめられんわ。」とそれぞれに満足した猫たちは、ベッドに戻り、人間を湯たんぽ代わりに眠りにつきます。
クリスマスは、猫たちも幸せです。

写真は、個性的な顔のマリアと白イタチのようなポン。
椅子の上は、ひまわり。

そしてもう一つ。
この時期何度も観る、大好きな映画があります。
ヒースロー空港の到着ゲートから始まる様々な愛の物語。
Love Actually.
英国らしいマチュアなユーモアと、文字通り「実際そこにある」愛。
クリスマスだから伝えられること。気づくことができること。
一年に一度。素直に気持ちを伝えられる日。
勇気を出して伝える言葉。
それは、心の奥の想いと同じ深さで大切な人の心に届くのだと、教えてくれる映画です。

Love actually is all around.

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2010年11月27日土曜日

おべんとうの時間

おべんとうの時間
おべんとうの時間阿部 了(写真) 阿部 直美(文)

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素敵な本を見つけました。
「おべんとうの時間」
レシピ本ではなく、働く人々のごく日常のお弁当。
日本各地で様々な職業につく方々の、お弁当に関わるエピソードを素敵な写真とともに紹介しています。
お弁当を食べる人。作る人。働くということ。
普通の毎日を丁寧に生きている方々の物語は、生きるうえで大切なことを思い出させてくれます。
心温まる、素晴らしい本です。

自身のお弁当エピソード。
思い出すのは、料理上手だった祖母と母のお弁当。
運動会には、祖母の昔の人らしいお重詰めのお弁当と、調理師の資格も持っていた母のハイカラなお弁当が並びました。
デザートも手作りで、素朴な寒天が楽しみでした。
思えば高校卒業後、進学で上京して以来、ずっと自炊をしてきました。
お弁当を持たせてもらったのは、遠い思い出。
けれども誰かが自分の心身を思い作ってくれたという事実は、いつまでも生きる力をくれるもの。
今になって、夜明け前から支度をしてくれただろう、祖母や母の愛に頭が下がります。

母になった私には、初めての幼稚園で小さな背中にお弁当を背負って登園する娘の姿。
ある時、草食恐竜と自分を同化させた娘は、突然ベジタリアンになり、お弁当メニューには苦労しました。
煮物やお揚げがメインの地味なお弁当。
それを恥ずかしがるでもなく、嬉しそうに完食してくる娘には、彼女なりの信念がありました。
今でもコンビニ食やファーストフードを食べない娘。
「料理なんてめんどくさーい」とまだ甘えていますが、近い将来自立した際には、自ずとキッチンに立つ喜びを身につけてくれることでしょう。

そして、5年前の愛知万博での思い出。
「お弁当の持ちこみ許可」は、小泉元首相の数少ない功績の一つかも知れません。
その日、私は遠足の朝のテンションで、リュックにお弁当を詰め込みました。
20年ぶりに再会した幼なじみと過ごした一日。
歩くのが遅い私は、歩くのがとても早い彼の背中を不思議な気持ちで眺めていました。
小学生の時、小さかった彼は列の前の方。
背の高かった私は後ろの方。
私よりずっと大きくなった彼だけれど、黙々と歩く後ろ姿は昔と同じ。
少年の好奇心とマチュアな強さを身につけた、世界中を旅してきた頼もしい背中でした。
時々ついて来ているか確認するように立ち止まり、振り向くけれど、また自分の心のままに歩く。
優しすぎる人ゆえに必要な距離。
その彼独特の距離感が、私にはとても心地よく、心から安らぐものでした。
けれどももしあの日、人でごった返す高価な食事処で延々と並ぶことになっていたら…
彼は多分、食事など抜いても、目的へと歩く人。
それでも彼は私を気遣い、時間をさいてくれたでしょう。
私はいたたまれなくなり、少し悲しい思い出になっていたかも知れません。
思い出したように彼が早足を止めた時、野外で頂いたお弁当。
彼の冗談に笑い、ふと静けさが戻ると、遠くから彼の好きなイエメンの音楽が聴こえてきました。
全て気持ちよく食べてくれたあと、「これで荷物、軽くなったな。」と一言。
お腹に入ったお弁当が、繊細すぎる心の距離を縮めてくれた気がしたのでした。


現在は毎朝、娘とふたり分(私はカタギの勤め人もしています)のお弁当を作ります。
あり合わせの簡単なものだけれど、忙しい職場でお弁当を開ける瞬間は、ささやかな楽しみ。
そして娘の空っぽのお弁当箱を見るのは、ささやかな喜び。
以前、仕事がもっとハードだった時には、娘には学校のカフェで食べるようにとお金を渡して済ますことがありました。
でもそんな日が続くと、娘の肌や心がささくれだってくるのです。
そして私自身も手抜きをしている事実に落ち着かず、母親業と父親業、自分の中の女性性と男性性のバランスが取れず、自信を喪失し始めます。
丁寧に生活することは、大切な者だけでなく、自分自身を愛することに繋がります。

精神分析学者フロイトは、「健康な大人の条件」を問われ、「愛することと働くこと」と答えました。
かつて高度経済成長期には、男女の役割が「世話をする人」と「稼ぐ人」という性役割で二分されていました。
交わることのない世界で生きる夫婦には、互いの孤独という心の問題が生じました。
性役割の境界線が薄くなった昨今でも、その境界線のところで互いに疲れ果て、悩む大人が増えています。

愛することと働くこと。
「おべんとうの時間」の行間には、そのバランスの大切さと、コツが描かれているような気がします。
大切な人が健やかで、頑張れるように、と願いを込めて作る幸せ。
別々の場所にいても、大切な人と同じものを食べられるという幸せ。
自分のためだけに作る、働く自分へのエールとしてのお弁当。

これからも頑張って早起きしよう!

2010年11月22日月曜日

君よ永遠の嘘をついてくれ



なのに永遠の嘘を聞きたくて 
今日もまだこの街で酔っている
永遠の嘘を聞きたくて 
今はまだ二人とも旅の途中だと

君よ 永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
何もかも 愛ゆえのことだったといってくれ

君よ 永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
出会わなければよかった人などいないと笑ってくれ


作詞作曲 中島みゆき
唄 吉田拓郎




Thank you, Kellie.

2010年6月26日土曜日

Jane , a woman to love









世界的霊長類学者の Jane Goodall ジェーン・グドール博士。
そして、
絵本作家の Tasha Tudor ターシャ・テューダー。

敬愛し、憧れてやまない女性です。
お二人に共通するのは、俗世間から隔絶された場所での孤独を愛する生き方。
どの年齢においても、聡明な少女のようであり、叡智を備えた老女のようでもある、静かな澄んだ瞳。
そのクールな佇まいとは裏腹の、自然や動物への深い理解と愛情・情熱には、偉大なる「グレートマザー」を感じます。

ジェーン・グドール博士。
幼いころから一人でいることと動物が大好きな少女だったグドール博士は、後にアフリカ・タンザニア奥地の森で、何十年と霊長類の観察と研究に明け暮れます。
野生動物への憧れと共に、思春期には殉教者に憧れたという哲学的な少女は、森の中という俗世と無縁の生活にも強い憧憬を抱いたといいます。
自然や動物との対話を求める背景には、自身の存在意義を探るための霊的な体験への希求がありました。
森での体験について、博士は自伝の中でこう述べられています。
「動物や植物、山や川に身をすりよせていけばいくほど、私は自己の核心に近づき、あたり全体に遍満する霊的な力を感じとることができるようになった。」

自身の内側へと向うため、瞑想するため。
自己を知るために自然や動物が必要であったというくだりは、個人的にとても興味深いものです。
が、今回はその人格について心理学的なお話を。

チンパンジーを一日中、何年も観察し続けるというなみなみならぬ動物への関心は、その先で自己、大きくはヒトという存在の意味へと帰結します。
ユングのタイプ論でいえば、その興味のベクトルが外界ではなく、自身の内側へと向かう、典型的な内向型タイプの女性だといえるでしょう。
またパーソナリティ障害の本では、グドール博士が次のように紹介されています。
対人接触を求めない、清貧のヒト。シゾイド(統合失調質)パーソナリティ。


『回避性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害の引きこもりが、本当は対人接触を求めているが、傷つけられるのを避けるために行われるのに対して、シゾイドパーソナリティ障害の場合は、対人接触よりも、孤独な環境のほうが本来好きであるという点に特徴がある。

シゾイドパーソナリティの人は、静かで淡々とした生活を好む。
…物質的なものよりも、精神的で、内面的な価値に重きを置く。俗世になじまない、世捨て人のような雰囲気があるのだ。

己の世界への(他者の)侵害を恐れる。
…他人に対して壁を作ることで、自分を守っている。逆にいえばそれだけ自我の殻がデリケートで、脆いのである。このタイプの人にとって孤独な場所というのは、非常に大切なもので、誰にも立ち入ってほしくない聖域なのである。
(「パーソナリティ障害」 岡田尊司 PHP新書 2004年 )』

岡田氏は、パーソナリティの問題と社会的な適応の関連性において、グドール博士をシゾイドパーソナリティを最大限に生かした人だと述べています。
また「シゾイドパーソナリティの人は、自分の天性を否定したり、無理やり変える必要はなく、その長所を生かすべきだ。…無理に社交的にふるまおうとしたり、世俗的な成功や出世をめざすのではなく、自分の特性を知り、それに合ったライフスタイルや職業を選ぶことが、楽しみながら成功するポイントである。」といいます。

そして現在。
JGI Jane Goodall Institute Japan の報告によると、グドール博士は森を出て、現在アフリカのチンパンジーたちが直面している絶滅の危機を一人でも多くの人に知ってもらい、保護活動への参加を呼びかけるため、世界中を飛び回っています。
その献身的な活動により、2002年には国連平和大使に任命されています。

http://www.jgi-japan.org/

「私が今も静かな森の中で,チンパンジーという素晴らしい生き物達と平和に暮らしていると思っている人がたくさんいます。実際この森は私の心の大部分を占めています。しかしチンパンジーがアフリカ全土で数を減らしていることに気付いたとき,この森を去って,保護活動に身を捧げることを決心したのです。それ以来同じ場所に3週間以上とどまったことはありません。大好きなこの森にいられる時間もせいぜい2週間です。」

ハードなスケジュールをこなし、世界の様々な場所で多くの人に囲まれ微笑む博士の姿は、その周りだけそのまま森を切りとってきたかのような静寂が漂います。
孤独な森の中での生活から、都会で多くの人と接し、自己を主張する役割へ。
シゾイド的資質を活かした自己実現と、一面的なシゾイド的資質という壁を越えた新たな自己の統一。
若くして単身ジャングルへと足を踏み入れた情熱も然ることながら、人生後半に再び冒険へと踏み出された情熱は、誰もが持ちえるものではありません。
世俗的な価値観に惑うことのない生き方は、少女でもあり、老女でもある美しい瞳の所以です。

そしてその大いなる変容を可能にしたのは、森の動物たちとの揺るぎない絆ではないでしょうか。
チンパンジーたちの母であり、親友でもあるジェーン。
両者の心は、どこにいても、一時も離れることはないのだと思います。
時間や空間を超えた交流を可能にする霊的な力。
博士は少女の頃にその能力を動物の中に感じ、無意識的に求めていたのでしょう。
シゾイドタイプの人が孤独に強く見えるのは、人との繋がりという危うさや脆さを拒否するかわりに、人ではないものとの確固たる繋がりを信じているからかも知れません。

2010年6月24日木曜日

Hydrangea




緑が雨に濡れ、清々しいこの季節。
太陽が恋しい時もあるけれど、慌ただしい日常で、静かな雨音や水滴は心を静めます。
そしてひときわ目を惹くのは、アジサイの美しい青。
アジサイには大切な思い出があります。
幼稚園だった娘が、母の日に贈ってくれたのがアジサイの鉢植えでした。
別々に暮らす父親をお花屋さんに連れて行き、私の一番好きな花を買ってもらう…
アジサイの鉢を抱えた娘は、意気揚々と笑顔で帰宅しました。
家庭の状況を受け入れ、傷ついた心を抱えながらのその純粋な優しさを私は一生忘れないでしょう。

娘が贈ってくれたアジサイは、年々より大きく美しい花を咲かせ、私たちの心を満たしてくれました。
ブルーが映えるよう、アンティークレンガで花壇を手作りしたのも楽しい思い出です。

現在の家に移った最初の初夏、私はまた玄関先にアジサイを植え替えました。
まだ小さなそのアジサイは、私に大切なことを思い出させてくれます。
反抗と依存のバランスを取りながら、自立への準備期間を迎えた思春期の娘。
時に混沌に戸惑うティーンエイジャーの心の、美しさと優しさだけを見つめるようにと。

2010年5月20日木曜日

Max and Rastus


屋根裏で古い雑誌の整理をしていたら、こんな記事を見つけました。
ニュージーランドではとても有名な猫ちゃん、ラスタスです。

ラスタスは、とても珍しいバイクに乗る猫。
ある日マックスさんは、バイカーの集まるフリーマーケットで女性に子猫を預けられます。
「少し抱っこしてて」。
女性はそのまま戻ることなく、小さな黒猫はマックスさんの愛情の元、バイク乗り猫ちゃんへと成長します。
オールドバイクで堂々と走る2人の姿はあっという間に有名になりました。
そしてCMに出演したり、グッズが販売されるまでに。
その売り上げは、SPCA(Society for the Prevention of Cruelty to Animals) 動物虐待防止団体に寄付されていました。

ところが1998年、突然の悲劇がマックスさんとラスタス、そしてマックスさんの恋人を襲います。
3人の乗るバイクに対向車線をはみ出した乗用車が正面衝突。
強い絆で結ばれた3人の魂は、瞬時に天国へと旅立ちました。
お別れには、彼らの走る姿をこよなく愛した1000人を超すバイカー達が集ったそうです。
颯爽と風を切るMax&Rastusの姿は、今も語り継がれています。

http://www.petsonthenet.co.nz/maxandrastus.htm

走っているバイクにバランスよく乗る。
猫のしなやかな筋肉と高い運動能力を以てすれば、難しいことではないのかも知れません。
でも飼い猫の臆病な性格を思うと、爆音のバイクに乗るなんて考えもつかないこと。
ふたりの間にあった信頼と絆が、どれほど大きなものであったかがうかがえます。

素晴らしい日々を重ね、予想もしなかった悲しい最後を迎えたふたりの旅。
けれども、私は心からふたりを羨ましいと感じます。
固定概念に縛られない自由な空気。
種族を超えた絆。
Max&Rastus は、自由を求め続ける魂同士、深い理解と思いやりで結ばれていたソウルメイトだったのでしょう。


一方、快適な部屋の中だけで生きる我が家の同居人たち。
窓ごしにひなたぼっこするその毛皮のなんともいえない太陽の匂い。
風の匂いを嗅ぎ、目を細める野生の表情。
体高の何倍もの高さにジャンプする能力と素晴らしい瞬発力。
ふとした瞬間に「動物であること」を見せつけてくれる時、私の心は4本肢への尊敬と愛しさでいっぱいになります。
それなのに、ヒトも悲鳴をあげるほどの牙と爪を持ちながら、その攻撃相手はソファとぬいぐるみ。
動物の傍らに自然がない、ということは、どれほど不自然であることでしょう。
自然の緑や黄を背景に佇む動物の姿ほど美しいものはありません。
もし自由に外に出ることができれば、その野性と生命力は何倍もの輝きを取り戻すはず。
彼らの幸せを考える時、いつも複雑な想いを抱きます。
守られていることが、奪われていることだと。
彼らは気づいているのか、いないのか。。

病院のケージで一生を過ごす猫。
殺処分となる28万頭(年間)の猫。
自由と引き換えに、過酷な環境でわずか数年しか生きられないノラ猫。

様々な小さな命を思う時、ラスタスの一生は類まれなる素晴らしいものであったと確信します。

2010年4月24日土曜日

猫物語  ~ひまわり~









我が家の4本肢の同居人たちは、全員元ノラ猫。
それぞれの物語を少しづつ書いていきたいと思います。
まずはブログトップの写真、ブルードアの前でゴロ寝をしている我が家の三女。
名前は、ひまわりです。

ひまわりが家に来たのは、4年前の初夏のこと。
当時、老齢で脚が不自由だった愛犬ミミが、真夜中2時すぎに突然「トイレ!トイレ!」と鳴きだしました。
その夜は嵐のようなどしゃぶり。
ミミは雨に濡れるのが大嫌いなのに、その晩に限って「外に行く!」と吠え続けます。
私は仕方なく玄関を開け、大雨の中、不自由な脚でふらふらと歩いていくミミを追いました。

裏山へ50mほど歩いたところで、ミミは耳を立て、警戒する仕草を。
「どうしたの? おしっこじゃないの?」と聞きながら、早く戻りたい一心の私は、ミミにリードをつけ引っ張りました。
でもミミは動きません。
ふたりともあっという間にずぶ濡れです。
私は半ば諦めの気持ちで、ミミにつき合う覚悟を決めました。

その時。
大きな雨音の合間に、かすかに「ぴ~…」という声が聞こえたような気がしました。
辺りは真っ暗で何も見えませんが、しばらく耳をすましているとやっぱり声が聞こえてきます。
私はすぐにミミを家に帰し、懐中電灯を持ってその場所に。
声のする方向を注意深く探していると、溝になっているところに小さな生き物がいるようでした。
真夜中だったこともあり、地球外生物かも?!とドキドキです!
噛まれるといけないので、もう一度タオルを取りに戻り、改めてその物体を拾い上げました。
ネズミ? モグラ? …って「ぴ~」って鳴くの? 
やっぱりエイリアン?! 
「気持ち悪い~!」とタオルを重ねながらも、胸は高鳴りました。

そして明るい所で見てみると。。
まだへその緒と血のついた猫の赤ちゃんでした。
きっと母猫は初めてのお産だったのでしょう。
嵐の中で初めてのお産にパニックになり、産み落としたままどこかへ行ってしまったのです。

早速へその緒を切り、体を拭きました。
幸い血は出産の時のもので、ケガをしている訳ではなさそう。
冷えた体をドライヤーで温めると、大声で鳴きはじめました。
とても数時間雨の中にいたと思えないほどの勢いのよさ。
温めたお砂糖水を少し口に含ませましたが、朝までミルクは手に入りません。
「ちょっとーッ! お腹すいたんだけどー!!」 
結局子猫は、一晩中元気に鳴き続けました。
このすごい生命力の持ち主が、ひまわりです。

夜明けには雨も上がり、私は母猫を探しに子猫を拾った場所へ。
母猫はどこにもいませんでした。
そのかわりに…
少し離れた水たまりの中に、もう一匹子猫が落ちていました。
顔、体の半分は水に浸かり、ひっくり返ったまま虫の息。
あれから一晩中雨に打たれていたのです。
この世に生まれ落ちた瞬間から、一人ぼっちでこんな冷たい場所に…
本当に胸が痛みました。
急いでおへその処置だけして、2匹とも獣医さんに診ていただきました。

「こんなに小さい子、無事に育ちますか?」
獣医さんは一言。
「やるしかありません!!」 
なかなか熱血の素敵な先生でした。
病院で猫用ミルクと哺乳瓶をいただき、子育てが始まりました。
3時間おきの授乳と排泄。
子猫はまだ自分で排泄できません。
母猫がおしっこやうんちを舐めて出してあげるように、お尻を刺激して排泄を促します。
授乳は人間の赤ちゃんと同じです。
慣れると小さなおててを哺乳瓶に添え、それはそれは可愛い!
授乳期間はひと月ほどですが、ママ気分を満喫しました。

残念なことに2匹目の子は、生後4日で足早に天国へ戻って行きました。
水たまりで大量の泥水を飲んでいたのでしょう。
お腹が張り、泥のような便をし、ミルクを受けつけませんでした。
まだ目も開かないまま、娘の手のひらのうえで静かに息をひきとりました。
ひまわりと一緒に保護していたら…と思うととても悔やまれます。
今度は必ず幸せな飼い猫に生まれ変わってね。
そう祈りながら、裏山に埋葬しました。

ひまわりは順調に育ち、可愛さも頭のよさも運動神経もピカイチの素晴らしい猫に成長しました。
そして気の強さも天下一品!
獣医さんが仰るには、人の手だけで育てられた動物、動物の親を知らない動物は、往々にして気性が荒いのだそうです。
猫の子育てを見ていると、子猫は常に母猫か兄弟猫と触れあい、一人になることがありません。
その点でひまわりには、外界との接触の中で得られる基本的な安心感が充分ではなかったのでしょう。
その代り、人へ訴えかけてくる情愛はとても深く、家の中では常に私の傍らにいます。
家族以外にひまわりが懐いた人はたった一人だけ。
警戒心が強く、常に気を張っているところは健気でもあり、放っておけないところがあります。

動物との出逢いも人との出逢いと同じ。
私にとっては特に、動物との出逢いのなかには大きな学びがあります。
なぜその時期に出逢ったのか…必然の意味がわかる時が来ます。
その物語は次回に続きます。。


春先から初夏は、ノラ猫の出産シーズン。
ノラ猫のお母さんは、気候の悪化や餌の有無、またカラス、アライグマなどの外敵の襲撃、ヒトの干渉など、自分の環境が危険にさらされると、子育てを放棄することがあります。
そんな子猫を見つけた際には。。

①まずは何よりも保温です。猫の体温は平熱で38度以上。
夏でも毛布やタオルにカイロを入れ、十分な保温を。
また先住猫がいる場合、保護したノラ猫が猫エイズや猫白血病などの伝染病キャリアの可能性があるので、ひとまず隔離した方が安全です。

②牛乳はお腹を壊すので、猫用ミルクが手に入るまではぬるま湯か、砂糖水を少しだけスポイドで口に含ませます。
猫用ミルクは粉タイプのものがペットショップや動物病院に売っています。

③おしっことうんちは、子猫を片手で持ち、ティッシュペーパーで軽くポンポンとお尻を刺激してあげると出ます。
ミルクを飲む前におしっこを出してあげます。
人工ミルクは便秘をしやすく、何日も出ない場合があります。
その時はオリーブオイルなどをつけた麺棒や温めたガーゼで肛門を優しく刺激してあげます。
便は押し出し式なので、ミルクが飲めていれば便秘はあまり心配はありません。
ゴートミルク(山羊ミルク)やエスビラック(共立商事)の液体ミルクは、便通が良いようです。
逆に下痢は脱水し、衰弱するので心配です。
ノラ猫は寄生虫がいる場合も多いので、すぐに動物病院へ。

④1週間~10日で目が開き、3週間~4週間で歯が生え、柔らかい食事を食べ始めます。
お水も一緒に置いておけば、徐々に上手に飲めるようになります。
その頃おしっこが出そうな時にトイレに入れてあげると、トイレの躾は簡単にできます。

⑤トイレの躾が済めば、ネットの里親サイトや新聞などで里親さんを探すことができます。
ただ最近は捨てられた犬猫を動物実験用に売買する里親詐欺も多いので、譲渡の際には十分な注意を。



幸せな動物が一頭でも増えますように。

2010年4月15日木曜日

Flamenco

フラメンコの素晴らしいアーティストを紹介します。

まずはアントニオ・ガデス。
世界的にも有名な舞踊家である彼は、ヒターノ(ジプシー)ではなく、生粋のスペイン人です。
生まれた時からフラメンコを子守唄に育つヒターノと違い、彼は舞踊学校で踊りを学んだダンサーです。
彼の踊りを初めて目にしたのは、映画「Los Tarantos バルセロナ物語」(1963)でした。
彼の役は、悲恋に翻弄される主人公の親友。飲んだくれのプレイボーイ。
美女を伴い、夜な夜な街で遊び続ける彼が主人公のギターで踊りだす。
このシーンを見た時の衝撃と感動は忘れられません。




ジーンズ姿で街かどで踊る彼の美しさと優雅さは、目を疑うほど。
その完璧な動きの合間、制止した瞬間に醸し出すあたりを祓うような雰囲気は、誰も真似できません。
まさにフラメンコの神様。

そしてどこか影を感じさせる風貌通り、貧しさの中で育った彼の根底には「怒り」があったといいます。
舞踊家であると同時に革命家でもあったガデス。
2004年、68歳の若さで生涯を終えました。
その遺灰は故人の遺志により、キューバ革命戦士の墓に葬られています。

ガデスと次に紹介するパコ・デ・ルシアは、土着的で民俗的な文化だったフラメンコを洗練された芸術の域まで高めた人物として高く評価されています。
けれども、あくまでも「ありのままの人間を表現する」という、フラメンコの真髄を追求するのが彼らの理想だったそうです。

映画の曲は Farruca ファルーカ。
主に男性舞曲として演奏されます。
北スペインの民謡がアンダルシアの人々によってフラメンコ化された、比較的新しいスタイルの曲と踊りです。






2人目はフラメンコギタリストのパコ・デ・ルシア。
彼もまたスペイン人で、世界中のギタリストの憧れです。
貧しかった幼少時代、彼はある日突然父親にこう告げられたそうです。
「財産を叩いてギターを買ってきた。今日から学校へは行かなくていいから、一日中ギターの練習をしなさい。」
彼のギターの魅力は、あふれだす情熱を抑制するようなアンビバレントなところ。
愛知万博の彼のステージでこの曲を聴いた時には、涙が止まりませんでした。
フラメンコギターの音色は、何よりも胸を締めつけます。

曲は Tangos タンゴス。
カディス発祥、ノリのいい2拍子の曲です。
演奏は、Paco de Lucia & Sextet
少年のせつない片思いを唄っています。
カンテ(唄)は、パコ・デ・ルシアの弟、Pepe de Lucia (ぺぺ・デ・ルシア)。
ルシアは、彼らの最愛のお母さま。
ラテンの男の人って、可愛いですね。






そして最後は、セビージャの代表的な舞踊家。
今も優れた指導者としてご活躍の Matilde Coral マティルデ・コラルです。
近年は、足や体の動きが男性化され、より力強いフラメンコバイレ(踊り)が主流。
でも彼女の振付スタイルは、あくまでも伝統的で、女性らしく、柔らかな踊りです。
この動画を見ても、女性の体と、その動きの美しさが最大限に引き出されています。
女性の美しさと力強さ、温かさが同居する、憧れの女性です。

曲は「歓び」という意味の Alegrias アレグリアス。
バイレと同様、とても魅力的なのは、一番を唄う Chano Lobato チャノ・ロバートの温かな歌声。
彼もまた素晴らしい伝統的なカンテ(唄い手)さんです。


フラメンコの魅力は一言では表せませんが、私が魅かれるのは、悲しみや苦しみを内包したうえでの明るさや強さ、つまり「生命力」。
クラシックバレエが、上へ、天へ、人間を超えた存在へと向う踊りなのとは対照的に、フラメンコはより力強く大地へと根ざし、人間らしく在るイメージです。

春になると無性にフラメンコを踊りたくなり、部屋では一日中曲を流しています。
家事の合間に突然踊りだしても、我が家の猫たちは慣れたもの。

目下のところ。
夢は、踊り仲間とセビリアの春祭りで踊ること♪

Invitation


長く独り身でいると、時々こんな質問をいただきます。
「結婚はもうしないの?」
「どんな(条件の)人がいいの?」

「…わかりません。」

笑ってごまかしつつ、質問に続いて「女性の幸せは男性次第」「結婚は現実的な条件」というような、通俗的な価値観を提示された時には、心に不協和音が生じます。
他者が自分の人生にコミットメントしてくれるのを期待するだけでは、結婚生活はすぐに暗礁に乗り上げるでしょう。

そんな話題に触れた時には、改めて自分に問いかけます。
「私自身はどんな人間で在りたいのか?」
自身がこう在りたいと願う人間像と、人生の伴侶に求める資質は多分同じ。
ならば、まずは「自分」です。

ひとりでいられる人間が、ふたりで生きられる。

心に浮かぶのは、Native American の長老の言葉を元に書かれたこの詩です。



「招待」


貴方が生活のために何をしているかは、どうでもいいこと。
私は貴方が何に憧れ、どんな夢に挑戦するか知りたいのです。

貴方の年齢など関係ないこと。
貴方が夢や冒険のために
愚かに見えるのも覚悟の上で
どれだけ自分を賭けることができるかを知りたいのです。

貴方の星座もどうでもいいこと。
でも、貴方が本当に深い悲しみを知っているか
人生の裏切りにさらされたことがあるか
悲しみの中心に触れ
それによって貴方の心は開かれたのか
それとも貴方の心は縮みあがり、さらなる苦痛を恐れるあまり、閉ざされてしまったのか
それを知りたいのです。

貴方が、自分のものであれ、他人のものであれ
心の痛みを無視したり、簡単に片づけたりせず
それを自分のものとして受け止めているかを知りたいのです。
苦痛を隠したり、ごまかしたり、取り繕ったりせずに。

また喜びの時は
それが誰のものであれ
心から喜び、野生のまま踊り
至福感に全身をゆだねることができるかどうか知りたいのです。
気をつけたほうがいい、
現実的になれ、
大したことはない
…などと言わずに。

私は貴方の話すことが本当かどうかには、関心はありません。
でも、あなたが自分自身に正直であるために
他人を失望させてしまうことでも、あえてできるかどうかを知りたいのです。

たとえそれが裏切りといわれ、誰かに失望されたとしても
自分自身の魂を裏切るよりは
その非難に耐える道を選べるかどうか。
不実だと言われたときにこそ、貴方がどうするか。
そこで貴方が信頼に値する人間であるかどうかを知りたいのです。
貴方自身の魂を裏切っていないかを。

私は、貴方に本当の美が見えているかを知りたいのです。
それが見た目に美しく見えなくても、日常の見慣れたものであっても、
そこから真に美しいものを見出し、自分の人生に汲みあげるかどうかを。

私は貴方が失敗しても
失意を受けとめ、痛みとともに生きることができるかどうか
それでも湖のほとりに立ち、銀色に輝く月に向って、「大丈夫」と叫ぶかどうかを知りたいのです。

どこに住み、どれだけお金を持っているかもどうでもいいこと。
それよりも、貴方が悲しみと絶望に打ちひしがれ、どんなに疲れ果てている時にも
朝が来ればまた起き上がり
子どもたち、愛する者、弱き者のために
自分がすべきことをするかどうかを知りたいのです。

貴方が誰を知っているか、どうして来たかは関係ありません。
私とともに、決してひるまず、試練の中に立つことができるかを知りたいのです。

貴方がどこで何を勉強したかも聞きません。
私が知りたいのは
皆が貴方を見捨てて、一人ぼっちになったとき
すべてが崩れ落ちるように感じられるとき
貴方の内側から、貴方自身を支えているものが何かを知りたいのです。

貴方が自分自身としっかり向き合い
日常のなんでもない時間の中にいる自分自身を心から愛せるかどうか
孤独のなかの自分を愛せるかどうかを
知りたいと思っているのです。


Oriah Mountain Dreamer
1999

http://www.oriahmountaindreamer.com/


*写真は、アースロッジさんで購入したポスターです。
http://www.earthlodge.com/

2010年4月8日木曜日

春の日






故郷を離れていた十数年間、私には、日に何度も心に立ち上る風景がありました。
それは、れんげ畑と田植を終えた水田の風景。
幼い頃の遊び場です。
一昨年帰郷し、その風景にもう一度出会えた時、忘れかけていた記憶が鮮明に蘇りました。

れんげ草、シロツメグサ、オオイヌノフグリ(別名ホシノヒトミ)…
小さな野の花が広がる田んぼや、まだアスファルトに覆われていないあぜ道に吹く暖かな風。
体をとりまく日向の匂い。
草の上に寝そべった時のひんやりした感触と眩しい空。
ハチ、アブラムシ、テントウムシが手を這う感触。
記憶はすべて、身体的な感覚と結びついています。
風景が何度も心に立ち上ったのは、私がその身体的な感覚を求めていたからに他なりません。

この季節には毎日のようにれんげ草やシロツメグサを摘み、ブーケや首飾りを作りました。
四つ葉を探し、見つからない時は一枚葉っぱを付けたすという苦肉の策も。

不思議なのは、あの頃の時間の感覚です。
今思えば、放課後から夕食までの2,3時間だったのでしょう。
けれどもその記憶には、時間の感覚がありません。
飽きることもなく、ただひたすら田んぼにしゃがみ込み、暗くなったら立ち上がる。
子どもの頃は、「今」だけを生きていました。
心と体に刻まれた、「永遠の一瞬」です。

ブーケを作り家に帰ると、母はいつもコップに水を入れ、テーブルに飾ってくれました。
でも野の花はすぐに萎れてしまいます。
私はその花束をゴミ箱に捨てられず、結局元の場所に。
お花摘みや虫取り。
自然を相手にした遊びには、いつも少しだけ罪悪感を伴いました。
自然界で強く生きているのに、花瓶や虫籠の中では死んでしまう…
そんな小さな命の強く儚い美しさを、この先も私の心は求め続けるのだと思います。

れんげ草。
花言葉は、「あなたの幸せ」「あなたは私の苦痛を和らげる」「感化」

クローバー、シロツメグサ。
「幸福」「約束」

ホシノヒトミ。
「神聖」「清らか」「信頼」「誠実」

2010年4月4日日曜日

お花見






同級生が集まり、墨俣一夜城に夜桜を見に行きました。
幼稚園、小学校、中学校をともに過ごした同級生12名。

桜並木をそぞろ歩き、ほぼ満開の桜を見上げながら、幼い頃の遠足を思い出していました。
20年以上経っても、あの頃のままの皆の笑顔。
咲き誇る桜、堤防の菜の花、賑わう灯りを映す川の水面、まだ冷たいけれど春の匂いの夜風。
見慣れたはずの故郷の景色が輝きを増し、心が澄んでいくのを感じました。

お花見の後はもちろん飲み会。
それぞれの記憶を持ち寄り、思い出話に笑い転げます。
校長室前での正座、初恋の子、学校行事に校歌…何年経ってもおもらしネタは欠かせません。
飾らず、素のままでいられる仲間って本当にイイものです。
子どものままの顔と、社会人・家庭人としての顔。
相反する両局面に関わらず、そこには何の違和感もない温かさだけがあります。

そして仕上げは朝までカラオケ。
歌い、踊り、お腹がよじれるほど笑いました。
懐かしいアニメソングや歌謡曲の合唱は本当に楽しい!
時代や思い出を共有できる幸せは、歳を重ねてからわかります。

それぞれが頑張っていて、お互いを思い合える”気立てのいい(これは今夜の皆のキーワード。。)”かけがえのない友達。
皆の笑顔と笑い声を思い出しながら思うこと。
何が変わって、何が変わっていないのだろう。。

結論。
体は大きくなり、悩みと知恵を携えたけれど、少年少女の心は健在!

素晴らしい友情に乾杯!