2010年4月15日木曜日

Invitation


長く独り身でいると、時々こんな質問をいただきます。
「結婚はもうしないの?」
「どんな(条件の)人がいいの?」

「…わかりません。」

笑ってごまかしつつ、質問に続いて「女性の幸せは男性次第」「結婚は現実的な条件」というような、通俗的な価値観を提示された時には、心に不協和音が生じます。
他者が自分の人生にコミットメントしてくれるのを期待するだけでは、結婚生活はすぐに暗礁に乗り上げるでしょう。

そんな話題に触れた時には、改めて自分に問いかけます。
「私自身はどんな人間で在りたいのか?」
自身がこう在りたいと願う人間像と、人生の伴侶に求める資質は多分同じ。
ならば、まずは「自分」です。

ひとりでいられる人間が、ふたりで生きられる。

心に浮かぶのは、Native American の長老の言葉を元に書かれたこの詩です。



「招待」


貴方が生活のために何をしているかは、どうでもいいこと。
私は貴方が何に憧れ、どんな夢に挑戦するか知りたいのです。

貴方の年齢など関係ないこと。
貴方が夢や冒険のために
愚かに見えるのも覚悟の上で
どれだけ自分を賭けることができるかを知りたいのです。

貴方の星座もどうでもいいこと。
でも、貴方が本当に深い悲しみを知っているか
人生の裏切りにさらされたことがあるか
悲しみの中心に触れ
それによって貴方の心は開かれたのか
それとも貴方の心は縮みあがり、さらなる苦痛を恐れるあまり、閉ざされてしまったのか
それを知りたいのです。

貴方が、自分のものであれ、他人のものであれ
心の痛みを無視したり、簡単に片づけたりせず
それを自分のものとして受け止めているかを知りたいのです。
苦痛を隠したり、ごまかしたり、取り繕ったりせずに。

また喜びの時は
それが誰のものであれ
心から喜び、野生のまま踊り
至福感に全身をゆだねることができるかどうか知りたいのです。
気をつけたほうがいい、
現実的になれ、
大したことはない
…などと言わずに。

私は貴方の話すことが本当かどうかには、関心はありません。
でも、あなたが自分自身に正直であるために
他人を失望させてしまうことでも、あえてできるかどうかを知りたいのです。

たとえそれが裏切りといわれ、誰かに失望されたとしても
自分自身の魂を裏切るよりは
その非難に耐える道を選べるかどうか。
不実だと言われたときにこそ、貴方がどうするか。
そこで貴方が信頼に値する人間であるかどうかを知りたいのです。
貴方自身の魂を裏切っていないかを。

私は、貴方に本当の美が見えているかを知りたいのです。
それが見た目に美しく見えなくても、日常の見慣れたものであっても、
そこから真に美しいものを見出し、自分の人生に汲みあげるかどうかを。

私は貴方が失敗しても
失意を受けとめ、痛みとともに生きることができるかどうか
それでも湖のほとりに立ち、銀色に輝く月に向って、「大丈夫」と叫ぶかどうかを知りたいのです。

どこに住み、どれだけお金を持っているかもどうでもいいこと。
それよりも、貴方が悲しみと絶望に打ちひしがれ、どんなに疲れ果てている時にも
朝が来ればまた起き上がり
子どもたち、愛する者、弱き者のために
自分がすべきことをするかどうかを知りたいのです。

貴方が誰を知っているか、どうして来たかは関係ありません。
私とともに、決してひるまず、試練の中に立つことができるかを知りたいのです。

貴方がどこで何を勉強したかも聞きません。
私が知りたいのは
皆が貴方を見捨てて、一人ぼっちになったとき
すべてが崩れ落ちるように感じられるとき
貴方の内側から、貴方自身を支えているものが何かを知りたいのです。

貴方が自分自身としっかり向き合い
日常のなんでもない時間の中にいる自分自身を心から愛せるかどうか
孤独のなかの自分を愛せるかどうかを
知りたいと思っているのです。


Oriah Mountain Dreamer
1999

http://www.oriahmountaindreamer.com/


*写真は、アースロッジさんで購入したポスターです。
http://www.earthlodge.com/

0 件のコメント:

コメントを投稿